北二環路の北側に位置する。清代の内城には、南に宣武門・正陽門・崇文門、東に朝陽門・東直門、北に安定門・徳勝門、西に西直門・阜成門の計9つの「九門」が設けられていた。多くは城壁の撤去とともに消えたが、徳勝門は正陽門とともに破壊を免れ保存された。徳勝門は明代に城壁の建造とともに設けられ、塞外へ向かう門であったことから軍門とも呼ばれた。
12.6mの城台の上に築かれた箭楼は4層構造で19.3mの高さを有し、北に向けて計82の射撃口を備えている。徳勝門は数々の歴史の舞台となった城門で、明の正統14年(1449年)には,モンゴルで勢力を拡大したオイラトのエセンが北京に迫った際、徳勝門が戦場となり、明軍とオイラト軍は徳勝門の攻防を巡り5日に渡って激戦を繰り広げた。また崇禎17年(1644年)には、李自成率いる農民軍が北京に迫り、ついに徳勝門から入城を果たした。
徳勝門箭楼は明の正統2年(1437年)の建立で、箭楼は城楼の前方に建ち、レンガを積み上げた台の上に、城楼を防御する形で建っている。建立以来、城門と箭楼の補修がたびたびなされてきたが、1951年国家の配割金にて修繕、1980年再び全面補修された。箭楼は高さ約20m、82ヶ所の覗き窓があり、うち北側に48個、東西両側に各17個の覗き窓が城を守備する際の射撃孔としての役割を果たしていた。
1982年、文保所が設けられ一般開放された。その後1992年、城郭であった真武廟が復活した。現在は一年を通して古銭展が催されている。
チケット代:4元
開放時間:9:00—16:00
アクセス:バス5、27、44、315、344、345、380路線に乗る
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