さて、これからいよいよ、頤和園観光のハイライトである仏香閣に行くのであるが、その前に、仏香閣の入口である排雲殿の手前にある碑楼を紹介しょう。排雲碑楼といわれるこの碑楼は昆明湖沿いに建てられていて、この排雲碑楼と排雲殿、仏香閣は、真南向きにかつ平行て建てられている。この排雲碑楼の位置からは、一直線上に排雲殿と仏香閣を見ることができる。
観光客の多い頤和園の中でも最も混雑するのがこの辺りである。
排雲門である。屋根の上に仏香閣が少しだけ見える。
排雲門は、長廊の中央に位置している。門の上には「幾久しく長寿を保たれますように」額がある。
排雲門を入り、排雲殿越しに見る仏香閣である。排雲殿は、西太后が自らの誕生日を盛大に祝った場所として知られている。頤和園の中でもとりわけ贅を尽くした建築物である。
ところで、仏香閣が建つ山を万寿山と呼ぶが、これは乾隆帝が母の還暦祝いに頤和園の原型を建造したときに名づけたもので、既に高齢となっていた西太后にとっても嬉しい名前だっただろう。排雲殿はその万寿山の麓に建てられている。
排雲殿にある西太后の部屋である。沢山いる観光客の後ろから見ただけであるので、家具等の見事さ加減というのは私も良く分からないが、きっと大変な家具なんだろう。
夏は暑い日の多い北京にあって、頣和園は避暑地として建てられたものであるが、西太后が頤和園で執務をとった時は、この部屋を使用していたといわれている。
排雲殿の横から、仏香閣に登っていきる。西太后は籠に乗って登ったといわれている。階段があるから登りやすいのですが、夏の鋭い日差しの中では、やはり一汗かかされる。
仏香閣まで来ると、一面に昆明湖が見渡せる。手前の建物群は、手前から排雲殿、排雲門、そして昆明湖畔に排雲碑楼が見える。排雲から東西に伸びる黒い屋根が長廊である。遠くに南湖島と十七孔橋も見える。
この眺望は、ちょうど杭州の西湖を雷峰塔とか西冷印社とかから眺めたものに、特に湖を見渡した広さのイメージや雰囲気がよく似ています。西太后は頤和園を再建するにあたって、杭州や蘇州など江南地方に絵師を派遣してイメージを描かせたなんて逸話も、ちょっと信じてみたくなる気分である。
この仏香閣からの眺めは、さすがに素晴らしいものがある。頤和園に来たら、必ず登って欲しいものである。
万寿山にそびえ立つ仏香閣である。「仏陀が香ばしい」というその名前は、仏教の仏陀に対する賛美から源を発していると言われている。八角三層の建物は高さ20メートル巨大な石を足場にして建てられている。
仏香閣は乾隆帝の時代に建てられ、西太后の時代に再建されたものであるが、構造は繁雑、装飾は豪華で、そこから清王朝の権勢の強さを感じられる。まさに頤和園の象徴ともいえる建物である。
万寿山の山頂には、仏香閣と並んで、知恵海というチベット仏教式の建物も建てられている。知恵海は木造建物ではなくレンガ造りの建物で、梁が全くないため、無梁殿とも言われている。黄色と緑を中心にした配色や屋根のデザインなどがチベット仏教寺院らしい雰囲気を醸し出している。
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