1、如意苑
柿の木の林は石林峡にある林の景観のなかでも突出したもので、一株一株がまっすぐたち、葉を生い茂らせ、古いものは百年あまりの樹齢である。秋になると真っ赤な柿が枝いっぱいに実り、実りの秋にさらなる喜びを添える。中国語では「柿」という言葉の発音は「事」と同じ音なので、「事(=柿)事如意(すべてが意のままにすすむ)」という言葉を連想させるため、現地の人々はここを「如意苑」と呼んだ。
2.石林峡の伝説
言い伝えによると、その昔、この地にひとりの聡明で美しい娘がおり、名を霞姑といった。彼女はやさしい性格で、いつも猟や柴刈りにくる人たちの面倒をみて、水をあげたり靴をつくろったりしてあげていた。月日が経ち、彼女の美しさと善良さがその付近の人々に広く知られるようになった。霞姑が大きくなり年頃になると、小さいころからの幼ななじみであるきこりの三郎といっしょになり、夫は畑に、妻は織物に精をだす幸せな生活を送っていた。
その後、戦乱期をむかえ、外敵の侵略をうけるようになると、三郎は軍隊に志願し、霞姑と別れて去っていった。このとき、天に追放されたミズチが、巨石につながれていた鎖を解き放って逃走した。このミズチは石林峡へ降り立つと、土地の人々へ危害を及ぼしながら、石林峡の周囲を縦横無尽に暴れまわっていた。あるとき、ミズチは美しい霞姑を見つけると、その美貌に夢中になり、霞姑を監禁した。しかし、霞姑は決してミズチに従おうとはせず、ひとりぼっちの非力な彼女は夫を想いつつ、最後に巨石に身を打ち付けて死んだ。
三郎は妻の災難を聞くと、辺境から日夜走り続け、この地に戻った。彼は渾身の力をふるってミズチと死闘を繰り広げたが、とうとうミズチを倒すことはできなかった。三郎は自らの無力さを感じ、石林峡の峰へ登り、身を投げて妻のもとへと旅立つ決心をした。ちょうどその場を通りかかった西天伏虎羅漢は、彼の話を聞いてその執念と愛情の深さに感動し、ミズチ退治を助け、人々を苦難から救った。
のちに羅漢の計らいによって、美しい霞姑と善良な三郎はこの地で仙人となり、石林峡の山水の間を巡遊し、現地の人々を守っているといわれる。今にいたるまで、霞姑と三郎の忠実な愛情は石林峡の民の間に広く知られており、この不思議な伝説は石林峡の永遠のテーマとなっている。
3、一路有幸
杏の木は「幸福」という言葉と同じ音のため、むかしから人々は「杏の木」や「杏の花」をおめでたい装飾図案として、建築や家具、容器などの上にしばしば使ってきた。中国古代の官吏登用制度、科挙は、毎年旧暦二月に進士試験(最終試験)が行われ、そのときは杏の花の盛りのときだったので、真っ白で香りのよい花は受験生たちに春の希望と吉祥を運んでくるものと考えられ、美しい杏の花は「及第の花」ともよばれている。
杏はふつう4月上旬に花芽を出し、中旬に開花する。そのとき、山の斜面や渓谷は真っ白にそまり、重なりあった団子状の杏の花が乱れ咲き、温かい風が吹きぬけると、馥郁たる香が鼻をかすめ、夢のような、霧のような自然の野趣が春の意を満ちさせる。
この一株一株の杏の木、一輪一輪の杏の花はあなたの石林峡行を「一路有幸(=杏)」(道中幸福がありますように)と祝福しているのである。
4、崖瀉天漿
崖瀉天漿は石林峡の九瀑十八潭のうちの一つである。滝は自然景観のなかでも美しい風景のひとつで、違った角度から見ると、また違った姿を現す。この滝は、山の石のすきまからしみ出た水が集まって流れ出たもの。硬い砂岩の間にある薄くて柔らかい泥岩に水が流れ込み、また泥岩は風や水や霜などによって簡単に侵食されてしまう。そのため、水は岩の間を通って流れ出て、滝を形成するのである。
5、石林山
石林山峰は地質学上、石英砂岩峰林地質といわれる。今から14億年前の石英砂岩により構成されており、砂岩に含まれる石英の含有量は90%と高い。硬い鉄質・珪素などが石英をしっかりと結び付け、その他の化学的性質も十分に安定しているため、比較的強い抗侵食性があり、峰のしっかりとした基礎となっている。しかし、薄い砂質のもろい層もあり、そこは風による浸食を受けやすい。そのため、峰の岩は生きているかのような人や物に似た、さまざまな形をしている。
こうした特色を持つ石英砂岩が、さまざまな自然の影響を受けることによって、これらの地形が生まれたのだ。
6、清涼な小世界
四季を問わず、この山には常に気分をゆったりさせる爽やかな空気に満ちている。特に暑い夏の季節は、ここは深い山の中にある清涼な小世界となる。ある詩人は「岩を流れる水が空に向って噴き上げられ、晴れの日の雨のようで、ツタが生い茂り陽をさえぎっているので、夏なのにとても寒い」と詠んだ。
この静かで趣があり、清涼な空間が、あなたに弘一大師(1880-1942)の『清涼歌』を送る。「清涼なる月、月は天心に到りて光明ことに皎潔。今清涼の歌を唱えば、心地光明にして一笑呵たり!清涼なる風、涼風は愠(いか)りを解き、暑気は既に跡なし。今清涼の歌を唱えば、熱悩消除し、万物和す!清涼なる水、清水一渠、諸汚穢を滌蕩す。今清涼の歌を唱えば、身心は無垢、楽なること如何!清涼、清涼!無上にして究竟、真常なり。」
7、飛来石
峡谷の右にある、山の崖の上の大きな巨石である。これはぐらぐらとしていて今にも地面に落ちそうに突き出ており、別の世界から降ってきたようにも見えるので、「飛来石」と呼ばれている。この来歴は諸説あるが、伝説によれば、「大昔、火神祝融と水神共工が仲たがいし、戦闘の最中、共工がうっかり天にそびえる柱「不周山」にぶつかり、山が崩れ、神石が飛び散ったという。幸い女娲(神話中の女帝)が五色の石を練って青空を修理し、地上の生命を救った。このため、この飛来石は不周山が倒れたときに落下してきた天石だと言うものがおり、また女娲皇后が天を修理したときに残った神石だというものもいる。これは解くことのできない難題であるので、あなた自身でその答えを判断するとよいだろう。
8、力背千石
石林峡の伝説に登場する霞姑と三郎の話。美しい霞姑が年頃になると、その噂を聞きつけたその土地の多くの宦官の子弟や大富豪が求婚してきたため、ひそかに愛し合っていた霞姑と三郎はひどくあわてた。
そこで霞姑は、父母の言いつけを守り、大勢の求婚者の中から夫を選ぶことにしたが、霞姑は目の前にある大きな石を背負えた人に嫁ぐと宣言した。求婚者はそれを聞くと意気消沈したが、三郎は皆が見守るなか、小さいころから鍛えた力でこの石を持ち上げた。
これによって二人はついに思いを遂げることができ、この石は霞姑と三郎の忠実な愛の証しとなったのである。
9、霞姑石
石林峡の伝説で登場する、霞姑が身を打ち付けて亡くなったとされる石。霞姑をしのび「霞姑石」と名付けられた。
10、一木千鈞
ここにある巨石は、一方に傾き、道路をふさごうとしているかのように見えるが、この石の上に生えている桑の木が、千鈞(鈞は昔の重さの単位。千鈞ははなはだ重いことを示す)の力を持っているかのように、落ちようとする石をしっかりと押さえていて、危険な状態が続いている。まさに「一本の木が千鈞の重みをささえる」である。
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