北京に住んでいる人なら牛街(ニウジエ)の話は聞いたことがある人が多いだろう。でも実際に行ったことのある人は少ないのではないだろうか。牛街は回族が多く住むイスラム人街である。今は再開発で高層アパートが立ち並んでいるが、以前は雑然としたエキゾチックな香りのする胡同だったそうである。
牛街は北京で一番古いイスラム街で1000年の歴史があるが、有名なのは元の時代、フビライ・ハーンが今の北京に大元遷都を行ったとき、大都(元の都)の南西部のはずれである牛街に、南宋制圧で西方から連れてきた兵士を住まわせた話。今もその兵士の末裔が住んでいるとのことである。
街のシンボルは牛街礼拝寺。イスラム教のモスクで、996年建立。10元で参観することができる。男性も女性もあまり肌を露出しない服で参拝しましょう(入り口でズボンやスカーフを貸してもらえる)。
地下鉄2号線の長椿街で下車し、南へ10分ほど歩くと牛街である。礼拝のある日も参観、写真を撮ることもできる。いつもは静かな礼拝寺であるが、その日は白い帽子をかぶった男性たちがどんどんやってきている。スカーフをかけた女性もいるが、圧倒的に男性が多く、東アジア系の顔の人もかなりいる。建物は中華風の赤い柱に瓦屋根、中はカーペットが敷き詰められている不思議な空間。
礼拝堂は男性と女性にわかれている。男性の礼拝を境内の庭で拝見した。モスクの前に緑のカーペットが敷かれ、中に入りきれない信者は外でお祈りをする。自分のカーペットでお祈りの場所を確保する人もいる。今の中国や世界状況の講座が行われた後、コーランが流れ、わずかな静寂。お祈りが始まった。正座した男たちが一斉に立ったり、膝間づいたり。回りで見ている人も神聖な空気を感じ取ることができる。
基本的に信者以外は礼拝堂の中に入ることはできないが、礼拝のない日はモスクの方が、「入っていい」と言ってくださることもある。必ず聞いてから入るようにしょう。
モスクには売店もある。イスラム教徒がかぶる帽子など信者向けのものと並んで売られているのが、ティーカップや蓋碗などの茶道具。以前購入した蓋碗は花の模様がお気に入りで今も大活躍。
礼拝寺を出て裏手に回ると、昔の街を髣髴させるような小さなお店が並んでいる。小吃店では包子や揚げパンなどが売られていて、3つ買っても1元半!いろんな種類があるので、選ぶのに迷ってしまう。付近のレストランではお馴染み羊肉串やナン、西安名物の羊肉泡[食莫]を食べることもできる。豚肉はまずないが、ビールは置いている。
また、民族洋品店や牛街清真超市(スーパー)、市場もあり、独特なスパイスや調味料、茶器など、ついつい買ってしまって荷物を増やしてしまう。
街では緑色がひときわ目立つ。イスラム教国家の国旗にもよく使われる緑色はイスラム教では神聖な色で、牛街では建物や看板に使われている。中でも強烈なのが、イスラム教学校。全て緑である。
牛街にはイスラム寺院だけでなく、唐代に建立された法源寺という仏教寺院もある。やはり日本人にはこちらが落ち着く。一番奥のお堂に入ると、子どもたちが数人参拝に来ていた。お寺の方が子どもたちに、中国式のひざをついて参拝する方法を教えていた。お堂の右側に鐘、左側に太鼓が置かれており、少年が鐘を撞いて大目玉をもらっていた。お堂の中は仏像の裏側を回って一周することができる。
法源寺の東側には昔ながらの胡同の町並みがまだあり、のんびり歩くことができる。爛縵胡同を歩いてみた。旧湖南会館の前で、写真を撮っていると、お向かいに住んでいるおじいさんが話しかけてきた。私がこの辺りのことを聞きたいのに、「どこから来たのか?」、「年はいくつ?」と逆に質問攻めにあってしまいた。「何年ぐらいお住まいですか?」と私が聞くと、「何年だろ?忘れた。ずっと前から。」とあっけらかんとした答え。今は幼稚園になっている旧湖南会館は以前は湖南省の事務所であった。湖南省というと毛沢東。毛沢東も一時期ここを拠点にしていたこともあるそうである。
爛縵胡同の北を右に曲がって、菜市口大街に出たところに譚嗣同の故居がある。ひっそりとした小さな四合院である。譚嗣同は清代末期、近代化を進めようとした思想家、政治家で、浅田次郎氏の小説、「蒼穹の昴」でも登場する。光緒帝や師匠の康有為と戊戌の变法を進むが、急進的な改革は西太后の怒りを買い、処刑された。
この菜市口は昔処刑場があり、譚嗣同も罪人が通る門である宣武門から出て、菜市口で処刑されたそうである。
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