バー通りを散策することのほかに、胡同めぐりは什刹海のもう一つの人気プログラムとなっている。ここは、北京市内にある25の「歴史文化保護区」のうちで、最大規模の一角である。清代の四合院がほぼ完全なまでに保存されており、もっとも特長のある胡同や多くの王府も残されている。これらはみな什刹海の文化遺産となっていて、多くの観光客を引きつけている。
北京で胡同めぐりの観光プログラムを最初のころに手がけた徐勇さんは、什刹海を別の見方でとらえている。徐勇さんは1954年、上海生まれ。両親に連れられて、11歳で北京に移り住んだ。北京に来たばかりのころ、ある胡同の四合院で一カ月あまり暮らした。わずかの間であったが、胡同や四合院、うららかな春の風景が彼に深い印象を与えたのである。
70年代末、徐勇さんはある広告会社に勤め、撮影技術を独学。80年代からカメラを手に取り、オリジナルの撮影をはじめた。都市生活を反映させたものを撮りたいと、彼の関心はしだいに子どものころ印象を深めた胡同に向かっていった。86年から、北京各地の胡同へひんぱんに通うようになり、そこで暮らす人々にレンズの照準を合わせたのである。
当時、北京の胡同は、まだ閉鎖された場所だった。多くの人が、ボロボロに崩れかけた胡同など他人に見せられないと思っていた。徐勇さんがカメラを向けたとき、ほとんどの人が彼を異常者だと思った。真実の暮らしを記録しようと、彼はいつも朝早くから夜遅くまで胡同の中にとどまった。そのためスパイだと誤解され、尾行されたこともある。そんなことが何度か続き、ついには警官に捕まって、家族の説明でようやく解放されたことも……。
しかし、そうした危険にあっても、彼は撮影するうちに胡同の魅力にはまっていった。
「じつは北京の胡同は、上海の弄堂(横町)と同じです。それは都会の特徴でしょう。しかし急速な発展につれて、人々の視線は歴史的なものからしだいに離れていった。そんな真実を記録することが、私の達成感となったのです」と徐勇さんは言う。
3年近くの努力をへて、徐勇さんはついに自分の写真集『北京胡同101巷』を出版した。この本は、北京の胡同の庶民生活をあますところなく表している。売れ行きも好調で、北京の胡同が人々の関心を引きつけていることがわかる。
北京の胡同の中で、徐勇さんがもっとも好きなのが什刹海一帯だという。ここの胡同はさまざまな様式があるばかりでなく、比較的よく保存されている。「什刹海一帯に最初に住んだのは清朝の旗人です。彼らはふつうの庶民だったが、社会の底辺にいた人たちではない。一部の王府もここにあった。だからここには優雅な文化の香りがあるのです。また、美しい池もここに活力を与えてくれている。人々に親しみやすさを感じさせてくれるのです」。
徐勇さんの胡同撮影は、社会に大きな影響を及ぼした。多くの人が彼を訪ね、胡同についてあれこれと聞いていた。「こんなに多くの人が胡同の歴史や文化を知りたいのなら、胡同めぐりを提案したらどうだろう。什刹海も、胡同めぐりには絶好の場所ではないか?」と彼は考えた。しかし当時、この一帯は老朽家屋を改造するという問題に直面していた。古い胡同と四合院をどのように処理するか、それをまさに協議中だったのだ。徐勇さんは市政府と関係部門を奔走し、北京における胡同の意義について熱く語った。胡同めぐりを提案し、それが古い胡同文化を保護するばかりか、観光業の発展も促進するだろうと強調した。また、彼らの研究チームは、きわめて歴史的価値のある胡同や四合院もいくつか発見。そうした場所が完全に保存されることも決まっていった。
2年あまりの努力をへた94年、徐勇さんはついに彼の胡同めぐりプログラムを世に送り出した。内外観光客が什刹海に訪れはじめ、胡同もまた人々の前に開かれていった。胡同めぐりの成功は徐勇さんの名声を高め、多くの人たちが伝統文化の持つ巨大なビジネスチャンスをここに見たと徐勇さんは「文化とビジネスの結合は、都市の発展のうえでの必然的なことだ。重要なのはいいアイデアがあるかどうか。それがうまくいかなければ、伝統文化をすべて破壊してしまうだろう。だから伝統文化を保護するという基礎の上に、新しいビジネス商品を開発しなければならない。胡同めぐりは、一つの成功モデルなんだ」と語った。
SARSの終息後、什刹海にバーが出現したことについては、自分なりの考えがある。「バーの出現は什刹海に新しい一面をもたらした。絶えず発展していけば、古い場所にも新しい活力が生まれるだろう。でも、ここの管理はいくらか混乱しているし、衛生上にも問題がある。私たちは、バーやレストランの出現で環境を破壊してはいけない」と彼は語ってくれた。
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