霊光寺は、翠微山の東麓にあり、「西山八大処」の第二の場所として知られている。さらに、北京市の石景山区に位置し、八大処(公園の名前、霊光寺、長安寺、三山庵、大悲寺、竜泉廟、香界寺、宝珠洞、証果寺など)に現存する、最も重要な寺院と言われている。唐時代の大歴年間(766-779)に建築され、当時は龍泉寺と呼ばれた。金大定2年に建て直され、覚山寺と改名された。その後、明成化14年に再度修築され、現在の名になった。
霊光寺は、山に沿って建造された。20メートルの石段を登ると、本殿が目に入る。その本殿には、タイの僧王から贈られた釈迦牟尼の銅像が祭ってある。
当初は、霊光寺には廟堂が五つあったが、現在は「大悲院」「魚池院」「塔院」の三ヶ所しかない。大悲院に は、南に観世音殿、北に拝仏堂、東西にも、それぞれ配屋(母屋の手前両わきにある建物)が14室ある。院の南西には、清時代の咸豊年間に作られた金魚池があり、最初は寺内の放生池であった。池畔には、招仙塔(画像千仏塔とも呼ばれ)の基盤がある。清時代の末期、該塔は八国連合軍の砲火に焼き払われた。そのあと、寺内の僧人が古い基盤の片付けをしている時、釈迦牟尼の霊歯舎利を祭る石函(石碑と同じ)を発見した。
1958年、この「釈迦の霊歯舎利」を祭るために、霊光寺の方丈院に高さ51メートルの仏歯舎利塔と子殿堂が建てられた。その塔は7層の殿堂があり、釈迦の霊歯が、金剛座の上にある金の七宝塔に祭られている。仏歯舎利は世界でも2か所にしか残されていない、霊光寺は全世界の仏教僧徒がひれ伏し崇めるところになっている。
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