広済寺は北京の有名な「内八刹(内城にある八つの古刹)の一つであります。寺は金代に着工し、最初は西劉村寺と呼ばれていました。元代に広済寺と改名され、後に戦争による火災で焼却されました。
中華人民共和国が設立した初期、政府は専門の資金を割り当てて、寺院の全ての建築を修復しました。その後、古代の寺院の元の外観を維持するために2回の本格的な修復が行われました。 広済寺は2.3ヘクタールの敷地面積を持っています。その中軸線には山門殿、弥勒殿(天王殿)、大雄殿、圓通殿(観音殿)と多宝殿があります。中軸線の両側には鐘楼や鼓楼以外に、整然と並んでいる配殿もあります。
また、寺院の北西の角には、清朝の康熙帝17年(1678年)に建てられた白い大理石の祭壇があります。現在は「三学堂」と呼ばれ、今でも保存状態が良好です。
広済寺には明代と清代の仏像が数多く祀られており、貴重な仏教の経典や碑文などの文化的遺産も数多く収められています。そのうち、『大蔵経』だけでも12のバージョンがあり、中国仏教の歴史を研究する重要な歴史的資料であり、中国の伝統文化の重要な部分でもあります。
住所:北京市西城区阜成門内大街25号
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