太液秋風の石碑は今の中南海の東岸にある水雲謝に建っている。『燕京八景図』の記載によると、「天気の良い日には、日差しと月光が水面に移っているのが可愛らしくて、そこで太液晴波と呼ぶ」ということだそうだ。水雲謝から遠くを眺めれば、北には諒島白塔をバックにする北海の大きい橋があり、南は広々とした水面の彼方にある瀛台が見え、東岸は近くに万善殿と千聖殿があり、西岸の木々から立派な紫光閣が見えつ隠れつしているようだ。さらに遠くへ目を向ければ、一面の青い波が伸びていく中、蓮の花が美しさを競っているのが見える。心地よい秋の日に、水雲謝から秋風とともにさざなみを立てる太液池の景色を眺めるのは、まさに目の保養になる。
元と明の時代以降、北海と中海は太液池と呼ばれるようになった。金の時代では、元と明の首都の南西に首都が築かれたので、当時のいわゆる太液池は、今の北京の六里橋にある蓮花池だった。金の時代にすでに太液秋風の景観が出ているとすれば、それは蓮花池の景色を指していたのかもしれない。元の時、大都が築かれ、北海と中海も太液池と改められ、太液秋風という景色もそれとともに移動したと思えるが、史書には詳しい記録がないため、まだ推測の段階である。
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