また、昆明湖畔に戻ってきて、西北方面を眺めたところである。山の上の徳興殿などが見え、風光明媚である。また杭州西湖の話で恐縮であるが、徳興殿は西湖の雷峰塔を模したのだろう。徹底的に西湖を意識して造られたのが頤和園である。これは西太后の好みというよりは、原型を造った乾隆帝の好みであることは冒頭に記載したとおりである。
写真に湖に沿って色々な形の窓が開いている廊下が見える。これを見てみましょう。
廊下の窓である。十字や五角、六角、炎型などに開けられた窓で、空窓という。空窓は蘇州をはじめとした中国江南地方の庭園によく見られるもので、雨が多い気候なので壁付きの廊下を作ったさいに湿気で暑いので通風機能を果たすために開ける窓に装飾を施すものである。勿論、その窓から眺めた景色を楽しむという効果も期待されている。ここでは、窓を開けると昆明湖が広がるわけであるが、湖畔には蓮の花が咲いている。これなどはまさに蘇州の庭園の作りである。
湖畔に咲いていた蓮の花である。杭州の蓮や蘇州の蓮の花ほど大きくはないが、見事な花である。
頤和園の東岸を歩いて昆明湖を見てきたが、なるほど江南文化への乾隆帝の強い憧れが感じられる庭園である。
このページの締めくくりに、杭州の行政官を勤めた蘇東坡が西湖を詠んだ詩を紹介しょう。蘇東坡は西湖に蘇堤という堤を作ったことでも有名である。
湖の水が輝く晴天の日が良い。
山々が霞んで朦朧とした風情も一興である。
西湖を西施に例えるならば、
淡い化粧の時も濃い化粧の時も、いずれ劣らず素晴らしい。
ここで西施とは、春秋戦国時代(呉越戦争の時代)に越王から呉王に召しだされた女性であるが、その美しさのあまり呉王は夢中になり、政治を省みなくなったといわれている。そんな美しさがこの昆明湖にもあるような気がする。
西太后が頤和園の再建で清の滅亡を早めたのも、西湖の美しさ、昆明湖の美しさが罪だったのかもしれない。
|