五大廟会の跡地として知られる土地廟は、北京の宣武門の外、槐樹街とも呼ばれる斜街に存在した。廟自体にはこれといった特徴は無かったようだが、東西二廟と並び称せられる廟会の地として名高い。詩に、
麥飯豚蹄賽一方、何來此地半城隍。如雲士女無香火、不及山村坐夜郎。
と歌われるように、やはり参拝客より、商品購入のための人が大半であったことは、東西両廟の場合と変わらない。
但し、廟の規模は非常に小さかったと言われる。建物としては、中心に正殿、それに若干の配殿が存したのみであり、東西両廟とは比すべくも無い。よってその廟会も、廟の周囲に展開されていた。
また廟の歴史も、その淵源については不明な部分が多い。
都土地廟在土地廟斜街、舊爲老君堂、明萬暦四十三年重修、有明神宗御製碑。毎旬之三日有廟市。遊人雜踏、與護國、隆福并稱勝。
これによれば、元来土地廟は太上老君を祭る「老君堂」であったことが分かる。また、遅くとも明末には廟が存在していたことは看取できる。 ここで大規模な廟会が開かれるようになったのは、この地が農村とのちょうど接点に当たる位置にあったことが指摘されている。実際に、土地廟の廟会は鮮花の取引で有名であった。廟会が開かれたのは、毎月三日・十三日・二十三日の逢三日であり、やはり数多くの品物が売買されていた。ただ、骨董や芸術品などよりも、日用雑貨や家具などの取引が多かったようである。
人民共和国の成立後も、この地はひとしきり市で賑わったと言う。しかし、廟の敷地には宣武医院が建てられ、交通が激しくなると同時に、店を広げる土地も無くなったことから、廟会も徐々に衰退に向かった。
現在は、この土地廟はまったく廟として機能してはいない。またその跡地も、民家として転用されていると言われるが、その詳細な位置については不明である。
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