旧北京においては、護国寺・隆福寺・土地廟・白塔寺・薬王廟・蟠桃宮・東岳廟・白雲観・大鐘寺・城隍廟・花市火神廟・雍和宮などの廟会が有名であった。この他に、什刹海・厰甸といった地区にも、大小無数の寺廟が存在し、同様に廟会が行われていた。
この中で、特に有名なものは、「東廟」と称される隆福寺、それに「西廟」護国寺である。竹枝詞に言う。
東西兩廟貨真全、一日能消百萬錢、多少貴人間至此、衣香猶帶御爐煙。
この二廟の廟会は、北京城内では最大規模のものであったと言われる。ともに城内の繁華街の付近に位置する。旧暦の毎月七・八日の逢日(七・八・十七・十八・二十七・二十八日)には西廟護国寺にて廟会が開かれた。同様に、毎月九・十の逢日には、東廟隆福寺において廟会が行われた。
これに次ぐものとしては、斜街土地廟及び花市火神廟の廟会が著名である。土地廟は宣武門外の斜街にあり、また火神廟は、崇文門外の花市にあった。土地廟では、毎月三・十三・二十三日の三日間、市が立ち、また花市では、毎月四・十四・二十四日に市場が立ったという。この廟会も、かなり大きな規模で行われたとされる。 さらに、白塔寺の通称で知られる妙応寺も毎月五・六の逢日には、廟会が行われた。これらの廟会が、ほぼ北京城内外で毎月定期的に行われた廟会である。これから考えると、北京ではほぼ毎日のように、街のどこかで廟会が行われていたと考えてよい。
この他、東岳廟や白雲観や城隍廟などの道観、それに雍和宮や大鐘寺、黄寺や黒寺などの寺院でも、廟会は盛んに行われた。ただ、これらの寺廟では、一年に一度、ある一定の時期に廟会が行われることが多かった。そのため、毎月廟会があった東廟・西廟などとはやや異なった面もあったと思われる。
この他、北京郊外の妙峰山にある碧霞元君廟などの廟会もよく知られている。但し、小論では、あくまで北京城内外に所在する廟を中心とするため、この廟宇については対象から除く。
さて、廟会の行われた本来の目的は、参拝であった。地方における廟会のあり方と違い、北京においては異様とも言えるほど、商業活動の方に重点が置かれることになった。
すなわち、大規模な商業地が未発達であった時、廟会は市場として、また娯楽場としての役割を負っていたのである。この後、これらの場はまた門前市として、固定的な市場を持ち、商業地へと発展していった。現在の北京の繁華街が、かつての廟会の地とかなりの部分で重なりあうのは偶然ではない。一方で、固定的な商業地が発展した結果、廟会の方は徐々に衰微していくということにもなった。
しかし、清から民国期にかけて、これらの寺廟が文化商業活動に与えた影響は大きく、就中「五大廟会」と呼ばれた東廟隆福寺・西廟護国寺・斜街土地廟・花市火神廟・白塔寺は、北京という街の発展史上、重要な地位を占めた。
現在、大鐘寺・白雲観などの諸廟で、春節の時期を中心として廟会が復活しているのは喜ばしいことである。しかし一方でかつての五大廟会の地は、現在白塔寺を除いては、ほとんどその殿宇を存していない。以下では、このような北京の諸廟の歴史的な経緯と、その跡地の現状について報告を行いたい。
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