盧溝橋は、北京の南西、バスに揺られて約1時間ほど。周口店に向かう途中にある。橋の手前の宛平城の城内を通り、橋を渡る。ふもとには乾隆帝の筆によるという「盧溝暁月」の碑がある。橋はマルコポーロの時代そのものが残っているという。橋の手前の北京寄りには宛平城があり、こちらの城壁や城内は清時代の様子が復元されていてる。晴れの日も勿論良いけれど、小雨が降って人通りが少なくなった盧溝橋は、かえって清朝の時代に戻ったかのような雰囲気になり、より趣がある。城内には抗日戦争記念館の立派な建物が建っている。ここがマルコポーロを偲ぶだけの場所ではなく、日中戦争の発端の地であることを示している。
盧溝橋の創建は、金の1189年。元の時代にマルコ=ポーロもこの地を訪れ、この橋のすばらしさを記している。そのため、西洋ではマルコ=ポーロ・ブリッジとして知られている。
清の乾隆帝がこの地の風景を愛でて「盧溝暁月」の碑を建てた。それが下の写真の碑である。盧溝橋は、蘆溝橋とも書かれていたが、近年、この碑文にもとづいて盧溝橋に統一することとなった。
欄干の柱には、さまざまな獅子の像があり、端では小さな象が欄干を支えている。側面を見ると、11のアーチが橋を支えている。全長212m、幅8mの永定河に架かる橋。
宛平城の城内のはずれに、中国人民抗日戦争記念館がある。こちらは近代的な立派な建物。日中戦争当時の武器や共産党幹部の遺品らと共に、日本軍の残虐行為を告発するたくさんの遺物や写真が展示されているが、あまり刺激の強いものはなく、抑制のきいたもの。共産党の指導によっていかに抗日戦を勝利したか、を後世に伝えたいという、中国政府の、というより中国共産党の一つの存在証明がここにあるようだ。
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