秦の時代の後、漢、北魏、北斉、北周、隋、遼、金、明などの時代でも、万里の長城の修築・増築が続けられた。万里の長城は、いまでは国家統一の象徴的存在となっている。現在の北京の万里の長城は、主に明(1368~1644年)の時代に築かれたものである。蒙古族の王朝、元を北に追い払った明朝は、北京を攻め落した興武元年(1368年)から明末までの二百余年にわたって、北の守りを固める北京地域の万里の長城の修築・増築に力を入れた。明にとって、北京は北の軍事的要衝であるだけでなく、明の都であり、明の歴代皇帝の陵(明十三陵)の所在地でもあったので、絶対に敵の手に渡せないところだったのである。
ユネスコの世界遺産に登録されている北京地域の明の万里の長城のなかでも代表的なものは、延慶区の八達嶺、懐柔区の慕田峪、密雲区の金山嶺、司馬台の万里の長城であろう。それぞれに特長を持っている。
八達嶺の万里の長城は北京の中心から北西65キロメートルのところにある。中米、中日国交正常化の突破口となったニクソン大統領、田中首相の訪中のさいには、両首脳ともここを訪れ、その姿がテレビの衛星中継で全世界に放映された。
その後、1992年の秋には日本の天皇、皇后両陛下もここの万里の長城を登られたのである。『日本経済新聞』(1992年10月24日)はその様子を「・・・・・・『やはり来てみないとわからないものですね』と陛下は眼下に広がる長城の壮大なさまを見て、しきりに感心された様子・・・・・・」と伝えている。「百聞は一見に如かず」だったのだろう。八達嶺の万里の長城はその雄大さで知られているが、山の起伏に沿って視界のはてまで左右に波打つように伸び、まるで力強く跳る一頭の巨竜のようである。
金山嶺の万里の長城は北京の北東130キロメートルほどのところにある。断崖絶壁の続くその険しい地形を巧みに利用し、豪放かつ繊細な建築様式は、軍事的に秀れているだけでなく、中国建築文化の代表作とされている。
ここから城壁づたいに5、6時間ほど東に縦走したところにあるのが司馬台の長城である。司馬台の長城は全長19キロメートル、35基ののろし台が残っていて、標高986メートルの望京台もあり、昔はここから北京が見えたそうである。
慕田峪の万里の長城は北京の北80キロメートルのところにあり、八達嶺の雄大さと金山嶺、司馬台の険しさを兼ね備えている。初めての方には、明の13人の皇帝の陵がある十三陵見学とをワンセットにした八達嶺の万里の長城を、二回目の方には唐代(618~907年)の古刹、紅螺寺などの見学とをワンセットにした慕田峪の万里の長城を、これだけではまだ飽きたりないという方には金山嶺か司馬台の万里の長城がおすすめ。そして足に自信があるという方は金山嶺・司馬台縦走コースにチャレンジしてみては・・・・・・。道路も整備されているので、どこも日帰りできるが、最後の金山嶺・司馬台縦走コースは縦走に時間がかかるので、城壁の麓の村の民宿に泊って一泊二日というのが妥当だろう。
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