雍和宮の西側に隣接した東西にのびる約700メートルの街がある。別名成賢街は名の通り約800年にわたって中国の学府として君臨した国子監及び孔子を祀る孔子廟を中心として栄えてきた誇りを今に伝えている。国子監は科挙の制度が制定されて以来科挙の試験が行われた場所である。科挙の試験と共に悲喜こもごもの人生模様を織り込んだ人たちが行き来していた街である。
国子監街の東西の両側と中ほどに合計4座の牌楼が現在も残っており、現在牌楼が現存する唯一の街道である。また街道には古い石碑や小さな廟が点在している。周囲の町並みも明代の様子を伝える部分を今も残している。雍和宮を参観と同時に、この街に足を運んでみるのも興がある。
国子監街は元の初期に建てたものである。明の時代は「国子監孔廟」と呼ばれ、清の時代は「成賢街」、民国は「国子監」、1965年からは「国子監街」と呼ばれ、文化大革命時「紅日北路九条」と呼ばれたことがある。国子監街は古い北京城の路地の姿を今に残している。この胡同は「孔子廟」と「国子監」(教育管理機構)があるため命名される。1984年北京の市レベルの文物保護部門になる。
国子監街は北京で唯一牌楼を残している胡同であり、街頭に4基の牌楼がある。胡同の東側と西側の入口に各1基、“成賢街”という扁額を掛けてあり、国子監の近くに各1基、“国子監”という扁額を掛けてある。そして韓文公祠、明朝の火神廟、灶君廟は国子監街の街内に建ててある。
国子監は元の大徳10年(西暦1306年)に建てられた、元、明、清の3世代の国家最高教育行政機関と大学である。全国の重要文化保護単位である。
孔子廟は元の大徳6年(西暦1302年)に建てられた、元、明、清の3世代の皇帝が孔子の祭る場所である。孔子廟には科挙の最終合格者の碑林が198基あり、石碑の上には元、明、清の3世代の科挙の最終合格者約5万人の姓名を刻んである。袁崇煥、曾国藩などの名前はその上に有する。全国の重要文化保護単位である。
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