「故宮博物院」、またの名は紫禁城、広大な敷地面積を有する北京一の観光スポットだが、もはや建物自体が文化財でもある。それでは、今日は故宮にある主要な宮殿の歴史について学ぼう。
太和殿
太和殿は紫禁城内の至尊的金殿であり、庶民の間では皇宮中の「金鑾宝殿」として知られており、皇帝はここで重大な朝典を行った。明朝の永楽年代(15世紀初期)に建設が開始され、その後は数回の崩壊と再建を繰り返した。現在の太和殿は清の康熙年代に再建し、今まで保存したものである。
太和殿は紫禁城内の至尊的金殿であり、庶民の間では皇宮中の「金鑾宝殿」として知られており、皇帝はここで重大な朝典を行った。明朝の永楽年代(15世紀初期)に建設が開始され、その後は数回の崩壊と再建を繰り返した。現在の太和殿は清の康熙年代に再建し、今まで保存したものである。
太和殿は紫禁城における最大の殿宇でもあるが、中国で現存している最高基準の古代宮殿建築物でもある。大殿内外には千万以上の金龍紋が飾られており、屋根には十個の動物像が設置されているので、現存の古代建築物ではこれしかない特色をなした。
乾清宮
乾清宮は皇帝の寝室である。明朝の永楽年代(15世紀初期)に創建されたあと、数回の崩壊と再建を経たが、現存の建築物は清の嘉慶3年(1798年)に再建されたものである。「乾清」とは「乾天清正」、つまり清廉且つ公正な天子という意である。
明朝から清朝の初期にわたって、乾清宮は皇帝の寝室・執務場所だった。清の雍正帝の時代以降、皇帝の寝室は養心殿に移したが、ここは依然として、皇帝が奏文の処理と祭日の儀式を行う重要な宮殿の一つであり、清朝康熙・雍正両皇帝の時代には、乾清宮で千叟宴(千人の年寄り宴会)を開催したことがある。
殿内には清朝順治皇帝の筆による「正大光明」と書かれた額が掲げられており、額の裏に清朝皇帝の継承秘密箱が収蔵された。
承乾宮
承乾宮は東六宮地域に位置して、最初は永寧宮と称されたが、崇禎5年(1623年)に、天意を奉じるという意味から現在の名称に変更して、西六宮の翊坤宫と対応している。明・清時代に、ここは妃の寝室だった。
景仁宮
景仁宮は東六宮地域に位置して、最初の名は長安宮殿だったが、明朝嘉靖年代(16世紀中期)に現在の名に変更した。景仁とは、この上ない仁愛のことである。明・清時代に、ここは側室たちの寝室だった。
|