「楡関」は恭王府・龍王廟の北側にある小さい城壁のことを指している。凸凹型の低い壁で、城門には穴が空いている。上には「楡関」の二文字が書かれている。楡関は山海関の別称で、長城をシンボルとしている。庭園で城壁を建てるという行為は王府の主人が自身の故郷への懐かしい思いを表していたとのことである。建物のスタイルは漢民族の帝王庭園にある代表的な「天地を縮小して、帝王の胸に置く」という気持ちを伝えている。これには、満州族と漢民族の間で異文化交流が行われていたという歴史的な意味があるとのことである。
「蓺蔬圃」は恭王府・流杯亭の東の方にある小さい野菜畑である。清時代の皇帝は毎年春分の日に諸大臣を連れて先農壇で農業の神様を祭り、皇家の土地にて自身で田畑を耕すことを通じて、満州国の気候が荒れることなく、毎年の収穫量の増加を願っていたという。そこで、貴族たちは次々と皇帝を真似て、自分の庭園で耕地を作り、素朴な雰囲気を体験することを通して、気候が荒れないように願っていたとのことである。
住所:北京市西城区柳荫街甲
14号
|