北海东邻故宫、景山,南濒中海、南海,西接兴圣宫、隆福宫,北连什刹海,是北京城中风景最优美的前“三海”之首。北海是我国迄今保留下来的历史最悠久,保护最完整的皇诚宫苑,有独特的造园艺术风格,是我国古代园林的精化和最珍贵的人类文化遗产之一。
北海は東に故宮と景山に、南に中海と南海に、西に興聖宮と隆福宮に、北に什刹海に隣接し、北京城内における景色が最もよい上位「三海(三つの湖)」のトップです。北海は中国において現在まで保存されてきた最も長い歴史を持つ保存度が最も高い皇城宮院で、独特な庭園造りの芸術スタイルが見せて、国内古代庭園の傑作と最も貴重な人類文化遺産の一つでもあります。
北海的总面积为1063市亩,水面占583市亩,陆地占480市亩。这里水面开阔,湖光塔影,苍松翠柏,花木芬芳,亭台楼阁,叠石岩洞,绚丽多姿,优如仙境。北海园林是根据我国古代神话故事《西王母传》中描写的仙境建造的,历经辽,金、元、明、清五代,逐步形成了今天的格局。战国时还传说,渤海东面有“蓬菜”、“瀛洲”、“方丈”3座仙山,山上住有神仙,藏有长生不老药。公元前221年,秦始皇统一中国后,派方士徐福等带童男女数千人,渡海找3座“仙山”,寻长生不老药,未果;便在兰池宫建百里长池,筑土为蓬菜山,刻石为鲸,长200丈。到了汉朝,汉武帝重蹈覆辙,仍未找到仙山,于是降旨在建章宫后挖一个大水池,取名“太液池”。将挖出的泥土的池中堆了3座山,象征蓬菜、瀛洲、方丈3座仙山。此后历代皇帝都在宫殿附近建“一池三山”,北海林也是继承这个传统而建的。北海和中南还是太液池,琼化岛如“蓬菜”,团城为“瀛洲”,中海犀山台似“方丈”。今天我们不仅能看到琼化岛上的犹如仙境的亭台楼阁,而且还能看到神人庵、吕公洞以及铜仙承露盘等传说中的仙岛景物。北海不但保留着把神仙宫苑幻想意境用高超的造园艺术实现于历史上高峰期的基本形态,而且还把我国寺庙园林、江南文人园林和宗教名胜艺术的成就融合在整个宫苑之内,其规模之宏大,历史之悠久,艺术成就之高超,确实是中国皇家园林中的精品之作。
北海は総面積が1,063ムー、中に水面面積が583ムー、陸地面積が480ムーを占めます。ここは水面がかなり広がり、湖水の閃と塔の倒影、常緑の松と柏、芳しい花木、楼台殿閣、築山と岩窟が揃っていて、美しくて恰も仙境のような場所です。北海園林(庭園)は中国古代の神話物語である『西王母伝』の中に記述された仙境に参照して作り上げたもので、遼、金、元、明、清の五つの王朝を経て徐々に現在の様子になりました。戦国時代にはこういう伝説もあります。渤海の東部には「蓬莱」、「瀛洲」、「方丈」という三つの仙山があり、山の上には仙人が住んでいて長生不老の薬もそこに隠れています。紀元前221年に秦始皇が中国を統一したあと、方士徐福は派遣され、数千人の童男童女を率いて海を渡り三つの「仙山」の探求と長生不老薬の獲得を目指したが、何の成果も得られなかったです。そして、秦始皇は蘭池宮で百里もの長い池を建たせ、土を積んで蓬莱山を作り上げらせ、石材を長さが200丈ほど鯨の形に彫刻させました。漢の時代になっても、漢武帝がまた同じことをしたが、相変わらず仙山を見つけず、そこで聖旨を下して建章宮の裏に大きな池を掘り、「太液池」と名づけました。そして、掘り出された泥は積まれて蓬莱、瀛洲、方丈という三つの仙山を象徴する三つの築山が建てられました。その後、歴代の皇帝も模倣して宮殿の近所で「一池三山」を作り上げ、北海林こそこの伝統が受け継がれた結果です。
北海と中海は太液池、瓊華島は「蓬莱」、団城は「瀛洲」、中海の犀山台は「方丈」を象徴しています。現在において、我々は瓊華島の上にあるまるで仙境のような楼台殿閣のみではなく、神人庵、呂公洞および銅仙承露盤など伝説中の仙島のものも見えます。北海は素晴らしい庭園造り芸術を活かして仙人の宮殿庭園という幻想の境地を実現させる歴史上のハイライト時代の基本な様子を保存してきた上に、中国の寺院庭園、江南文人庭園と宗教名勝の芸術の成果を宮殿庭園全体に融合させ、その規模の広さ、歴史の長さと芸術業績の素晴らしさから考えて、確かに中国皇家庭園の傑作と言えます。
北海1000年的历史和北京城的发展有着密切的联系。最初这里是永定河故道,河道自然南迁后留下一片原野和池塘。早在辽代,辽太宗耶律德光在会同元年(938年)建都燕京后,就在城东北郊“白莲潭”(即北海)建“瑶屿行宫”,在岛顶建“广寒殿”等。《辽史》记:“西城巅有凉殿(即广寒殿),东北隅有燕角楼、坊市、观,盖不胜书”。《洪武北平图经》记“琼华岛辽时为瑶屿”。以上史实均可说明“瑶屿行宫”的存在。金灭辽后,改燕京为“中都”。金海陵王完颜亮天德二年(1150)扩建“瑶屿行宫”,增建了“瑶光殿”。金大定三年至十九年(1163年--1179年)金世宗仿照了北宗汴梁(今河南开封)艮岳园,建琼华岛,并从“艮岳”御苑运来大量太湖石砌成假山岩洞,在中都的东北郊以瑶屿(即北海)为中心,修建大宁离宫。从那时起,北海就基本形成了今天皇家宫苑格局。当时把挖“金海”的土扩充成岛屿和环海的小山,岛称“琼华岛”,水称“西华潭”,并重修“广寒殿”等建筑。 公元1264年,元世祖忽必烈决定在旧中都城东北郊选择新址,营建大都。至元元年到至元八年(1264--1271年),忽必烈三次扩建琼华岛,重建广寒殿。广寒殿东西宽120尺,深62尺,高50尺。
北海の1,000年もの長い歴史は北京城の発展と緊密に関連しています。北海に位置する場所は最初、永定河の旧川筋が自然力によって南に移ったあと残られた一面の原野と池でした。早くも遼の時代において、遼太宗耶律徳光は会同元年(938年)に燕京を首都にしたあと、城の北東郊外の「白蓮潭」(即ち北海)で「瑤嶼行宮」、島の頂きで「広寒殿」などを建てたのです。『遼史』には「西城の頂きでは涼殿(即ち広寒殿)があり、北東隅では燕角楼、坊市、道観もあり、正に書いても書ききれない」という記載があります。『洪武北平図経』の中にも「瓊華島は遼の時代に瑤嶼と呼ばれる」という記述が見つけられます。上述した史実は、「瑤嶼行宮」の存在を裏付けられました。金が遼を滅亡させた後、燕京を「中都」に改名させました。金の海陵王完顔亮は天徳二年(1150年)に「瑤嶼行宮」を増築した上に、「瑤光殿」を新築しました。金の大定三年から十九年にかけて(1163年―1179年)、金世宗は北宋の汴梁(今の河南開封)の艮岳園に習って瓊華島を作り上げ、さらに「艮岳」御苑から大量の太湖石を運んできて築山と洞窟を積み上げ、中都の北東郊外で瑤嶼(即ち北海)を中心として大寧離宮を建造しました。その時から、北海は初めて今日の皇家庭園としての基本配置が形成されました。当時において、「金海」から掘り出された土を利用して島と湖を囲む小山に積み上げられ、つまり「瓊華島」という島と「西華潭」という湖が作り上げ、さらに「広寒殿」などの建物も再建されました。紀元1264年に、元世祖クビライは旧中都城の北東郊外で新たな場所を選んで大都を建設することを定めました。至元元年から至元八年にかけて(1264年―1271年)、クビライは瓊華島を三回増築した上に、広寒殿をも再建しました。広寒殿は東西120尺、奥行き62尺、高さ50尺の建物です。
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