紫禁城の永和宮は内廷の東にある六宮殿の一つで、景陽宮の南にあります。1420年に建てられました。元々は「永安宮」と呼ばれていたが、嘉靖時代に「永和宮」に変わりました。永和宮という名には、「末永く平和が続く」という意味が込められており、西の六宮殿の長春宮と対応しています。
永和宮は二進院の構造をしており、明時代に建てられた状態で保存されています。明時代、永和宮は妃の住まいとして使用されていました。清の時代も同じように住まいとして利用されていたそうです。前部の正殿は広さが五間に相当し、また、室内の額に飾られている「儀昭淑慎」という字は乾隆皇帝が書かれたものです。「淑慎」という字は謹みと優しさという意味です。
清の雍正皇帝の母親、孝恭仁皇后は永和宮に住んでいました。雍正皇帝が即位した後、彼女は皇太后の尊号を断り、皇太后が住むべき場所とされている慈寧宮に引越しすることも断りました。これは一部の研究者に雍正皇帝が「皇位を奪った」証拠とされました。道光時代に、永和宮は静妃(恭親王の母親)の住まいとして使用されていました。
|