三廟街は北京にある最古の胡同。現在の北京の街の大体の姿は明代に造営されたものだ。十四世紀から十五世紀にかけて。故宮もそうだし、鼓楼も景山も天安門も正陽門も永定門も。環状道路である二環路は、明代に造られた内城壁を取り払って造られたものだ。
明の前は蒙古族の元。元も都を北京(当時の名は大都)に置いていた。ただし、城全体がもっと北寄りに造られていたという。中心は現在の鼓楼の辺りだったという。つまり、明の皇城や城壁は元のものを解体し、新たに造り直された。
その元に滅ぼされたのが女真族の金。金の時代、北京は中都と呼ばれていた。金はここから南宋に睨みをきかせていたのだが、その時の街の中心は、現在の北京から見れば西南の街のはずれに位置していた。元の都も、また、金の城を放棄する形で新たに造られたものであった。
その金が、この地で、滅ぼしたのが、遼。北方民族である契丹の建てた国である。当時の北京の人口は三十万だったというが、その時代に賑やかだったのが、それが、九百年前。
契丹の遼が滅び、女真族の金が滅び、蒙古族の元が滅び、漢族の明が滅び、満州族の清が滅び、中華民国が倒れて、中華人民共和国になった。戦役もあり破壊もあり城街の変遷もあり街路の統廃合もあり・・・。その間、九百年。唯この一本の道だけは、そのまま道として残った。名前は変わった。遼代の呼称は壇州街と言ったという。街はすっかり姿を変えた。建物は建て替えられ、道は造り替えられた。ただ、この、幅四、五メートル長さ百メートルの胡同だけは、胡同として残った。
入場券:無料
開放時間:24時間
アクセス:地下鉄2号線外環、特2路、特4路、特7路、9路、10路、38路、44外、47路、54路、67路、209夜班、212夜班、301路、337路、395路、477路、626路、661路、662路、673路に乗る。
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