北京の後海の北側と南側に、清の時代のもっとも大きな2つの王府が位置しています。醇王府と恭王府です。恭王府の東側に羊房胡同があります。場所は広く見えないが、その中には世界有名なレストランがあります。それは、厲家料理レストランです。
レストランのオーナーは厲善麟氏で、店長は王暁舟女史です。厲家料理は宮廷料理に属しており、そのレシピも技術も家伝のものです。厲善麟の祖父厲子嘉氏は、清の同治と光緒の年に、内務府都統に勤め、朝廷内の食事を管理し、西太后からも深く信頼されていました。西太后は皇太后として執政した時期においては、食事も皇帝と一緒にとることになっていました。毎回の食事の料理の種類は百種類以上もありました。「伝膳」という指示が下ると、長い行列を作った太監たちは、膳卓と食器を担いで一列になって入ってきます。厲子嘉の仕事は、朝廷内のそれらの食べ物を管理することです。毎日、メニューを作成し、台所で料理の質などを検査するなどを担当していました。西太后と皇帝が食べる一品一品の料理は、彼がまず味見します。それで、月日の経つうちに、彼もグルメと料理人になったわけです。その後、厲子嘉は朝廷料理のレシピと作り方を息子の厲俊峰に教え、それはまた孫の厲善麟に伝わりました。厲善麟は料理において優れた才能を持ち、家伝の技術を受け継いだうえ、現代の理解と自分の発想に基づいて絶えず新しものを作り出しました。たとえば、彼が模造した西太后の日常料理「燕翅席」は格別に気が利いています。
厲家料理は登場してすぐ、話題となりました。その料理は、ある料理コンクールで来場の観客を驚かせ、最高賞を受賞しました。イギリスの大使は厲家料理のレストランで料理を食べながら「これはすばらしい。宣伝など要らない。大使館区域で話したら、ここはドアも開かないほど客が来るよ」と言いました。案の定、何日後、各国の中国駐在の大使やグローバル会社の管理者たちが殺到してきました。あの様子では、半月前に予約しておかないと、きっと席をとることができないでしょう。
厲氏のレストランのスタッフは三人しかいません。彼と奥さんのほかに、娘も加わっています。彼の夢は企業家になることではなく、むしろ中国の古い料理文化を人々に伝えることにあるのだと言えます。彼は1943年補仁大学を卒業し、教授をしたことあり、流暢な英語が話せます。奥さんは医科の大学出身で、小児科の医者に勤めたことがあり、日本語が堪能できます。
レストランでは、中国人より外国から来たお客さんが多いようです。欧米お客さんが来た場合、厲氏が接待するが、日本のお客さんが来れば、奥さんが対応します。アメリカの元国務長官ベイカー、カナダ総理クラーク、ボクシングの王者アリ、コンピューターの天才といわれるビル・ゲイツなどもレストランのお客さんでした。そのほかに、台湾や香港から来たお客さんも数少なくありません。ジャッキーチェンや汪明荃などがあります。
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