磚塔胡同の名前は、その東口に聳え立つ「万松老人塔」から名付けられた。元代の有名な戯曲作家である李好古が著した「沙門島張生煮海」という雑劇(元代に発展た戯曲形式の1つ)が、この「万松老人塔」に言及していることから、磚塔胡同が北京で最も古い胡同であることが裏付けられている。
そして、「万松老人塔」といえば、万松老人高僧をご紹介しなくてはならない。1215年、モンゴル軍が金中都(当時の北京)に侵攻した。契丹族出身の政治家である大臣・耶律楚材(やりつそざい)は金中都で万松老人高僧と出会い、彼に師事した。耶律楚材は博学で、チンギスハンからも重んじられていたことから、西域(古代、中国西方にある国々を呼んだ総称)へ連れて行かれることになった。出発する前、耶律楚材は万松老人高僧から「以儒治国、以佛治心(儒家思想で国を治め、仏教で心を治める)」の8文字を得て、彼の人生のモットーにした。1246年、万松老人が亡くなり、西四路口に聳え立つ塔の底に埋葬された。乾隆18年(1753年)、当初の7階建てから9階建てへとさらに高く改修された。また、中華民国16年(1927年)に再度修復され、東側の扉を開くとともに「万松老人塔」と命名された
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