梅蘭芳(1894~1961)。原籍地、江蘇省泰州。京劇の流派「梅派」の創始者。1894年10月22日、北京市鉄拐斜街の代々続いた京劇役者の家に生まれる。10歳で初舞台を踏み、20歳前後で名を成す。1930年代、梅蘭芳は世界的にも知られる存在になり、北京を訪れる外国人は、みな梅蘭芳の舞台を観たがり、彼の自宅を訪問した。そのため、梅蘭芳は毎月自宅で茶話会を開き外国からの友人たちを持てなしていた。ゴーリキー、ウラノワ(バレリーナ)、チャップリン、バーナード・ショウ、タゴールなどの国際的な芸術家、文学者も梅蘭芳と親交を結んでいる。
梅蘭芳は初めて京劇を国外で演じ、外国人に紹介した京劇俳優である。日本では1919年、1924年、1956年に公演を行い、彼の名前は日本中に知れ渡った。また、1929年末からアメリカに招かれ、半年にわたる長期公演を行い、アメリカ国民、芸術界、学術界から大いに賞賛された。更に1935年には当時のソ連で訪問公演を行い、演劇の国際交流を促進させている。
北京護国寺の狭い通りを入っていくと、その奥の護国寺街9号にある北京の伝統的民家である四合院が目に入る。こここそ世界的に有名な戯曲芸術の大家・梅蘭芳の旧居である。
この典型的な四合院に梅蘭芳は1950年に移り住んだ。母屋に当たる3間の北棟は現在も当時のまま保存されており、客間であった中央の部屋には梅蘭芳が生前に愛用していた堅木の家具が置かれている。客間の東側が梅蘭芳夫妻の居間兼寝室、西側が書斎で、室内の家具、壁に掛けられた写真、書画が上品な文化的雰囲気を醸し出している。梅蘭芳の書斎に収蔵されているのは、大変に貴重な京劇の台本である。西の棟は、現在は「戯劇芸術資料室」になっており、1965年に福芝芳夫人と子供たちが国家に寄贈した3万点余りの戯曲の資料が収蔵されている。また、東の棟には梅蘭芳が成し遂げた国際文化交流の業績に関する資料が収められている。
四合院の中庭には2本の柿の木とリンゴ、海棠の木がそれぞれ1本ずつ植えられている。これには「すべてのことが平安でありますように」という意味がある。梅蘭芳は一貫して真摯に芸術を追及した名優であったが、それは晩年も変ることなく、時間があればこの庭で京劇の動作や剣舞の稽古をし、子供や弟子たちに芝居を伝授した。
1961年8月8日、梅蘭芳は治療の甲斐も空しく、心臓病のためにこの世を去る。 1986年10月27日、ここは「梅蘭芳記念館」として正式に一般に公開されるようになった。尚、オープンに当たっては盛大なオープニングセレモニーが挙行され、鄧小平氏が自ら扁額を揮毫している。この記念館は北京市の文物保護単位に指定されている。
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