崇文門外に位置する花市は、また現在でも繁華街の一つとして著名である。旧時には、ここでも盛んに廟会が行われていた。その廟会の中心となったのは、火神廟である。 花市の火神廟は、正確には「火徳真君廟」といい、明代から続く廟であると言う。火神廟というのは俗称である。
火徳真君廟は、明の隆慶2年(1568)に建設され、清の乾隆41年(1776)に重修されたものである。
花市の名は、ここで大量に造花が売買されたことに由来するという。北京の婦女は頭に紙で作られた造花を挿すことが多かったというが、その精巧な製品は、もっぱらこの花市で取引された。そのためにこの名がついたとされる。
廟会は、旧暦の逢四日(四・十四・二十四日)に行われたが、1922年よりは陽暦の逢四日に変更された。廟会ではやはり、ありとあらゆる物品が売られたという。
火神廟には、山門・前院主殿・配殿があったとされるが、現在山門は毀されてしまっている。後に火神廟の祭祀は途絶えたが、廟会だけは残ることになった。
現在、花市大街の北部分に、火徳真君廟とされる建築は残っている。しかし、一応「文物保護単位」との標識が掲げられているとはいえ、その荒れようは目を覆うばかりである。そもそも、もと山門であったとおぼしき所は、公衆のための廁所となっていた。
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