胡同は、北京の伝統的な民家・四合院が並ぶ横丁のことである。古き良き時代の北京の街並みを留めたこの胡同も、再開発が進むにつれ北京から姿を消しつつある。この胡同を人力車でめぐる小さな観光コースが、最近外国人だけでなく中国人の間でも人気になっている。今回はその胡同をめぐるコースを紹介しよう。
場所は北海公園の北にある什刹海。海と呼ばれているが、もちろん北海公園同様の池で、后海、積水潭とともに一つの水上公園を形成している。夕刻になれば、什刹海から涼風が吹き、夕涼みに市民たちもやってくる。この地域には皇族の住まいであった大邸宅や庶民が暮らす小さな四合院が集中しており、昔日の北京を知るには最適のコースだ。
胡同は元・明・清の三代の王朝に築かれ、再開発が始まる前の北京は概ねこうした胡同で形成されていた。故宮から遠い庶民の住む胡同は建て増しが続いたため並びも雑多で、その配列に規則性は見出しにくいが、故宮に近い皇族の邸宅が集中する地域の胡同は南向きに道に沿って東西に整然と並んでいる。お屋敷街の近くにも庶民の住んだ胡同がある。しかし、それらの殆どはお屋敷の住人のための商店や職人の住居であった。
四合院は、中庭を囲むように東西南北にそれぞれ棟が配置されていることからこう呼ばれている。その建築様式は左右対称が基本で、社会的地位によって軒の高さ、広さが細かく制限されていた。高位高官や富豪の四合院は広々とし、柱や外廊下、軒に絵や彫刻が施された華美なもので、主の住む四合院の前後に別棟を備えるものも多かった。それに比べ、庶民が住んだ四合院は構造が単純で、門は狭く軒も低いものであった。
清朝末期に入る以前、封建時代の観念では商業は卑しい事業とされ、北京にはこれといった産業が育たなかった。町の経済が皇族や貴族の生活や遊興による消費に頼って成り立つ消費都市であったのだ。今も胡同は鑼鼓(ドラ・太鼓)巷などの名前で呼ばれているが、これはその胡同にあった施設や住民の職業にちなんだもので、これを見れば昔の北京の経済構造を知ることができる。
改革開放の波は古都・北京の街並みを洗い流し、今では多くの胡同が高層ビルに姿を変え、住民もマンションへと居を移しているが、現在も北京の3分の1はこうした胡同に覆われ、人口の凡そ半分がここに暮らしている。胡同は無用の古民家ではなく、現在も北京市民の生活に深い係わりを持つ北京の財産である。北京市政府もこのことを重視し、この什刹海の周囲に残る胡同を保存することを決めた。先人の残した住居を保存するだけでなく、そこでの暮らしそのものを生きた文化として残そうというものだ。
什刹海周辺の胡同は、北京に残る胡同の中でも最も美しく、保存状態も良好である。什刹海の胡同めぐりに参加すれば、北京の伝統的な文化を理解できるだけでなく、北京の庶民の生活を目の当たりにすることができるだろう。晴れた日、運河に架かる銀定橋からの什刹海の眺めは決して故宮、長城にも劣らない。岸辺の柳が風に揺れ、人々が釣り糸を垂れる水面には青い空が映る。他の観光地と違い、什刹海に憩う市民と気軽に触れ合うことができる。凧揚げや羽根蹴りなど昔ながらの遊びに夢中の子供たち、自慢の鳥が入った籠を立ち木の枝にかけ、将棋に興じるお年寄り、みな近所の胡同から夕涼みにやってきた人たちだ。横丁の小さな商店で買い物をするのもいい。また、この界隈には王族の邸宅のほか、史跡、寺院、歴史人物の旧居も多い。700年の歴史を持つ鼓楼に登れば、故宮をはじめ北京の街を一望することができる。
この胡同めぐりでは、ガイドの案内で四合院に入り、実際に胡同で暮らす人たちと話をし、食事をすることも可能だ。
この什刹海観光は輪タクが最もポピュラーだが、冬以外なら櫓の舟で什刹海を渡ってみるのもよいだろう。笠と黄色いチョッキ、昔ながらのスタイルの船頭さんが漕ぐ舟から、古い街並みを眺めるのも格別だ。昼間は輪タクで胡同や皇族の旧邸宅などを回り、夜に提灯を点した舟にゆられながら、舟に同乗する娘さんが奏でる民間楽器の演奏に耳を傾け、昼間渡った銀定橋をくぐって商店街に行く。そこで銘茶を味わうのもよし、100年の老舗「烤肉季」の北京風焼肉で食事をするのもよい。
夜の什刹海に舟の灯りが揺れ、人々の声が風に流れて伝わってくる。静かに半日の旅を振り返るとき、あなたはもう北京通になっていることだろう。
胡同めぐりのコース
輪タクで鼓楼へ─鼓楼見学─什刹海─銀提橋─胡同の四合院訪問(家庭料理、餃子、飲み物で食事)─輪タクでドライブ─住民のリクリエーション活動(マージャン、囲碁将棋、民間群舞など)を見学─什刹海の舟めぐりに乗船(民間音楽の演奏、灯篭流しを含む)
実施期間毎年4月から10月夕方17:00-20:30
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