歴史沿革
北京市朝陽区は古都の発展に伴っての長い歴史がある。秦の時代から隋・唐時代までは、幽州所轄の薊県に属していたが、遼の時代になって、「燕京道(行政区の一種)」「析津府」の所属となり、金の時代に「中都路(行政区の一種)」「大興県」の所轄となった。明・清時代は国都「順天府」に属していたが、依然として「大興県」の所轄であった。初めて区になったのが1925年で、「東郊区」と称された。1949年以降、首都北京の政治、経済、社会的発展とともに、行政区画は幾度もの変更を経て、1958年5月、国務院の認証により「東郊区」は現在の「朝陽区」と改称された。
人口構造
朝陽区の人口の特色は、総人口が多く、また増加のスピードが速く、構造が複雑ということである。区の居住人口は275万人であるが、その中の流動人口の数は98.8万人である。朝陽区内には多くの外国人、会社員、文化人がいる。また、五大工業基地の製造業に従事する多くの人や約17 万人の農民もいる。高収入の人と低収入の人が共存し、富裕層と貧困層が共に生活している。
行政区画
朝陽区は現在二十二の街道弁事所、二十の地区事務所を管轄している。
街道弁事所:朝外街道、劲松街道、建外街道、呼家楼街道、八里荘街道、三里屯街道、団結湖街道、双井街道、垈頭街道、左家荘街道、小関街道、和平街街道、酒仙橋街道、首都空港街道、潘家園街道、六里屯街道、麦子店街道、香河園街道、亜運村(アジア選手村)街道、望京街道、安貞街道、大屯街道。
地区事務所:南磨坊地区、高碑店地区、将台地区、太陽宮地区、奥運村(オリンピック村)地区事務所、小紅門地区、十八里店地区、三間房地区、東風地区、常営地区、管庄地区、孫河地区、王四営地区、東壩地区、黒荘戸地区、崔各庄地区、豆各庄地区、金盞地区、平屋地区 、来広営地区。
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