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「歴史文化名村」川底下村
  发表日期:2021年6月15日  共浏览199 次   出处:www.seeinchina.com     【编辑录入:中华旅游网
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川底下村は北京の西方、門頭溝区にある。北京から西へ90キロ、車で2時間半のところにある、山あいの海抜650メートルの盆地にひっそりとたたずんでいる。明の時代から約500年の歴史を持つ四合院の村として、今になってもそのまま取り残されたような静かな村。川底下村として知られているが、村のほんとうの名前は「川」の字ではなく「爨」という字(興の字の下に林という字が横に二つ並び、その下に大の字の下に火:中国人でもなかなか読めない)。これは「かまど」とか「飯を炊く」という意味の字。30画の字では公印を作るのにも困るというので、発音が似ている川という字が使われるようになったという。

珍しい村なので中国人よりも外国人のほうが多いと聞いていたけれど、行ってみると中国人の若者が多かった。四合院や古い街並みが次々と壊されていく北京、この村を訪ねてくる若者たちも増えているのももっともだ。

雲南の麗江がすさまじく観光化されてしまっているのを見てきた直後だけに、首都北京の近郊ではもっと観光化されているのかもしれないと、半ばあきらめ気分で行ったのだが、思ったほど観光地化されていなかった。70軒あるという四合院の集落の中に胡同のように入り組んだ路地が走っているのだが、北京の胡同のように平地の中を走っているのではなく、山あいの中なので階段が多い。その中に、店の構えを持ったみやげ物店は1軒しかなく、路傍に店開きをしているみやげもの屋があるだけで、観光客向けのケバケバしいレストランもなかった。

村の中はどこの家に入ってもよく、自由に見学させてくれる。メニューを出している家では食事を取ることもできる。そういうところは、「農家院」という一種の民宿で宿泊設備もある。宿泊設備と言っても、農家のカンのうえに布団を強いて寝るだけで、部屋にはトイレも風呂もない。電気は来ているけれど、水道は山の水を水源とする水道で、私たちが行った日はなぜか断水だった。昔ながらの大きな石臼がある家も見かけた。今は使われていないが、昔は共同で使われたらしい。石造りの隠れ里のようなこの村を散策し石段を登っていると、門の外のかまどで夕餉の支度をしている家々も見かけた。私たちは、山の会のリーダーが日本から持ってきた松茸で松茸ご飯を炊き、バーベキューをした。

500年前明の永楽帝が都を北京に定めたときは周辺は人も住まない荒野だった。北京の経済発展のために永楽帝は山西省から移民するよう命じた。川底村の第一代の祖先はそのとき移民した“韓”氏の一族で、現在も村人のほとんどの姓は“韓”という。重要な軍事基地であり、北京と山西省を結ぶ街道上の宿場町であり、通商の拠点として栄えた時期もあったらしい。また一説によると、500年ほど前に山西省からの移民が造った村で、同族だけの村のために「韓」が住民の姓なのだというのもある。ただ、1942年にここにも日本軍が入り込み焼き払われたところもあるという。この近くには、抗日戦争のゲリラの拠点もあったらしく、今も近くに「ゲリラ博物館」があると聞いてきたのだが、時間がなくて寄ることが出来なかった。明の時代からつづくこの村にも、文革の嵐は襲ったらしく、崩れた壁には赤い大きな字で「毛主席万歳」「毛沢東思想で頭を武装しよう」などのスローガンが、まだはっきり読み取れるくらいに残っていた。

この村はまた、1000メートルから1500メートルの山々に囲まれていて、ちょっとしたハイキングにも適している。夕方、村に着いてすぐに宿の向かいの小山に、夕飯前にひと登りと気負ったところが、意外に急な登りでかなりきつい思いをさせられたけれど、山頂からは村が一望でき秋の風に汗を吹かれながら隠れ里のような村のたたずまいをカメラに納めた。

次の日もまた標高1000メートルくらいの山に登ったのだが、500メートルくらい先の村外れにシリアの“シク”という岩の裂け目のようなところがあり、両側の岩の高さは数十メートルはあると思われる。奥行きも50メートルくらいあるかもしれない。

もうひとつ、この村の近くにここよりももっと古い村があると聞いて、帰りにそこに立ち寄った。そこは、霊水村という元の時代からの村で1000年以上も続いているという。ただ、昔はそこに村人が集い歌い踊ったであろう廟や寺とその前の踊り場は、彩色された欄間や壁画の跡をわずかにとどめているのみで、まったく荒れ放題に放置されたままだった。村の中には住んでいる人も少なく、ほとんどが出稼ぎに出てしまっているという。

川底下村も十数年前には過疎化が進み、村人は20名にまで減ってしまったという。村長を先頭に始められた村興しで今では30世帯90人あまりが住み、国家文物局によって「歴史文化名村」として認定されている。そのためか川底下村に入るには一人20元の入村料を取られる。霊水村もこれにならって観光に力を入れて村興しを企てたが、うまくいかずに村の入り口に作った「収票所」は閉鎖されてしまったようだ。日本だったら、文化遺産としてもっと丁寧に保存されるのではないかなと思ったのだが、中国はこんなところは掃いて捨てるほど出てくるので手が回りきらないのかもしれないとも考えた。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/


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