日本では新年で神社に行っておみくじを引いたり、新年祈願をする風習はありますが、中国ではお寺で新年祈願をすることが一般的でしょう。それでは、この時期北京に来たら、ついでにお寺に行って見ましょう。
智化寺
北京・禄米倉胡同にある「智化寺院」は、正統9年(1444年)に建てられ、明代の英宗皇帝に名付けられました。山門には「敕賜智化寺」と書かれている漢白玉石での横額があります。「敕賜」とは、皇帝に贈られた寺の名で、「智化」は、仏の智恵で衆生を済度することを寓意しています。 明代の英宗正統時代に建てられた北京智化寺は、560年以上の変遷と風雨を経験し、新中国の第一陣の全国重点文物保護単位として登録されました。きれいな状態に保存された四つの中庭がある仏殿は、現在で北京における最大の明代の木造建築であると同時に、仏教美術、仏経、壁画、音楽などの仏教芸術を代表する仏殿の一つでもあります。
中庭でふらふら散歩したり、一休みしたりして、盛衰交代の歴史を遡って、美しい建築様式、絶妙な彫像、変わっていない彩られた壁画を鑑賞することも、過去の王朝の仏経を拝見することも、鳴きながら飛び回るツバメを見ることも、この風雨の中に長年立つお寺の中ならではの静かなひと時を過ごしましょう。
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住所:北京市東城区禄米倉胡同じ5号(北京市东城区禄米仓胡同5号)
東岳廟 東岳廟は、道教の正一道は華北地区における最大の寺院で、1319年に創立され、泰山の山神の東岳大帝を主に祭祀して、北京の唯一の国営民俗類の特定テーマの博物館です。北京市・朝陽区の朝陽門外大通りの北側にあり、規模が大きく、壮観で、装飾が巧みに構想され、中国の伝統文化の精神、気質、魅力を表しています。
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住所:北京市朝陽門外大通り141号(北京市朝阳门外大街141号)
雍和宮
「雍和宮」は北京市区の北東部にあり、清代の康熙三十三年(1694年)に康熙帝がここで邸宅を建て、四番目の息子の雍親王に贈り、雍親王府と呼ばれていました。雍正三年(1725年)には、王府が宮殿に変えられ、雍和宮と呼ばれるようになりました。 雍正十三年(1735年)に、雍正皇帝が亡くなって棺をここに停泊させたため、雍和宮の本堂の瑠璃の色調が緑色から黄色の物に変えられました。また、乾隆皇帝がここで生まれたから、雍和宮には二人の皇帝がいて、「龍が潜んでいる福地」となったので、メイン建築は紫禁城と同じ仕様の黄色の瓦と赤い壁と変更しました。
乾隆九年(1744年)に、雍和宮はラマ廟に変えられ、総理事務王大臣を特別派遣し、定員無しに当該宮殿事務の管理担当させました。雍和宮は清代中後期に、当時においてランクが最高の仏教寺院と言えます。
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住所:北京市東城区雍和宮大通り12号(北京市东城区雍和宫大街12号)
匯通祠
「匯通祠(中国語表記:汇通祠)」は、北京の什刹海・西海の西北にある小さな島に位置し、明代の永楽時代に建てられ、以前は「法華寺」と呼ばれ、またの名は「鎮水観音庵」です。 乾隆二十六年に、匯通祠に関する詩が書き付けられました。「湖にある亭が大きな堤防にもたれ、両側の水が異なる高さに分かれています。わずかな時間で、煙が漂っていて、春樹に住んでいる人家は回り込むことを楽しみにしています。」「煙の中で、寺院の赤い垣が見られ、その瞬間に霊祠は明らかになります。雨はまだ止むようもなく、郊外に行って小麦はすぐみられます。」
匯通祠の裏庭には、元朝の有名な科学者である郭守敬の像が聳え立っています。彼は簡儀、仰儀、高表など数十種類以上の天文学機器を発明しただけでなく、更に有名な「授時歴」を計算し、365.3425を一日とした精度は、ヨーロッパ人の計算よりも300年以早かったのです。
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住所:北京市西城区徳勝門西大通り甲60号(北京市西城区德胜门西大街甲60号)
都城隍廟
北京にある「都城隍廟(中国語表記:都城隍庙)」は、道教の主流である全真派の聖地で、中国にある大きなは四つの「城隍廟」の一つであります。城隍廟は、古代の漢族の宗教文化の中でよく尊敬・祭祀される最も重要な神祇の一つであり、そのほとんどは地元の人々に役立つ名臣英雄によって担当され、漢族の民間と道教に信奉される城を守る神です。 ここ北京にある都城隍廟は、中国全国各地の城隍廟の一位であり、有名な上海の旧城隍廟よりも200年も古いです。今は古代の寺院はもう新しく修繕され、町中心の公園としても開拓され、金融街に奥深い景観を加えています。
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住所:北京市西城区金融街大通りの盈泰中心の南側(北京市西城区金融街街道盈泰中心南侧)
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