「恭王府」の邸宅の中部の三番目にある主殿は、「銀鑾殿」と呼ばれており、清時代の王府の中にある建物の中で一番大切な建物として扱われていた。紫禁城の太和殿、即ち金鑾殿の地位と機能に銀鑾殿は相当する。銀安殿は常々王府で重大なイベントを開催する際の会場として用いられていた。当時は、宮殿の真ん中に親王の王座が置かれ、その後ろに親王級用の屏風も配置されていた。また、「冊宝」という皇族が公布する就任令、昇進令や印鑑などが殿内に並べられている。
多福軒は邸宅の東部にある三番目の主殿である。恭親王の時代に主客の間とされて、「多福軒」という額の文字は鹹豊皇帝が書いたことから、この名で呼び始めたとされている。奕訢は多福軒にて英仏侵略軍が交渉に派遣した代表と会見したことがあるとされている。つまり、この宮殿は悲しい歴史的事件の目撃者であったと言えるだろう。和珅氏の時代には、東部は息子の豐紳殷德とその奥さんである固倫和孝姫様が住んでいた。また、書斎や客間としても使用されている。
住所:北京市西城区柳荫街甲
14号
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