醇親王南府は中央音楽学院の後にあり、地図によると鮑家街にあり、当時汪峰は鮑家街43号という楽団をしたことがあり、中央音楽学院の番地札で命名された。今の王府は少年宮と住民委員会の所在地になったが、高い屋敷周囲の塀の中に眺めて、権勢のある家柄の気質は目に躍進する。
この南府の歴史と言えば長くなる。清の初めの年、ここは「八大鉄帽子王之一」の克勤郡王岳托の第3子、貝勒なんじ楚琿の邸宅である。咸豊9年まで、咸豊帝はそれを輝かしい名声がある醇親王奕譞にあげた。 奕譞は光緒帝の父である。光緒帝が即位した後に、光緒16年奕譞がなくなり、太平湖の醇親王府の前半は醇親王祠に改築され、後半部は依然として「潜竜邸」とした。潜竜邸はもし清朝の太子が即位する場合、もとの住所は後代の皇帝の住所にしてはいけないので、他の用途にすること。有名な雍和宮はかつて居住したのは雍正皇帝であった。そのため、雍和宮は北京の有名な潜竜邸と言える。
醇親王南府に入って、あの漢白玉の石碑でここの経緯を書いている。中へ少し歩くと、正殿で、西側は舞台で、高くて大きい壁面の上に醇親王府の史記が書かれている。今すべての殿は教室の或いは事務室に変えられ、朗々とした読書の音と子供達のさんざめきはここの標識になった。
住所:北京市西城区後海北沿44号
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