万寿寺
万寿寺は静寂で幽玄、厳かな雰囲気が漂う皇宮の廟宇である。
万歴や乾隆、光緒など明清の数代の王朝による大規模な建設を経て、最終的に寺院と廟、行宮、庭園が一体となった建築風格が形成され、皇宮の仏教の聖地、清代には皇宮が長寿を祝賀する重要な場所となった。
1985年、ここに北京芸術博物館が開設されて対外開放された。
住所:西直門から西北に約3.5キロの蘇州街北、明清時代の長河の広源水門の西側にある。
電話:010-68456997
開放時間:9:00-16:00(月曜は休み)
入場料:20元
礼拝寺
牛街礼拝寺は、北京牛街の東にある北京で最も古く、最も規模の大きなイスラム教寺院である。正式名称は清真古教で、普通は牛街礼拝寺の名で知られている。
北京にはイスラム教を信仰する回教徒が約18万人で、一般公開されているイスラム教寺院が40カ所余りある。中国の古代建築とアラビア建築の特徴を合わせもつ牛街礼拝寺はその中で規模が最大ものである。
牛街礼拝寺は「回族」と呼ばれる中国人イスラム教徒たちの多くが宗教活動の足場としている。曲線状のひさし、色鮮やかな支柱や梁(はり)、光沢のある屋根瓦などを見れば分かるように、建築デザインには中国の影響を見て取れる。996年に中国を訪れたアラビア人僧の息子の指揮によって建てられた。
イスラム教徒以外は境内までは入れる(拝観料は無料、ただし入り口でお布施をせがまれる)が。境内は清潔で静かである。境内の建物や庭の造りはまさに中国風で、均整のとれた美しい建築物が目を引く。石碑や僧坊も全くの中国風である。
牛街礼拝寺の周囲に広がる街-牛街には、イスラム建築様式があり、イスラムカラーの緑色を基調としている。食堂もイスラムしている。
住所: 北京市西城区牛街88号
開放時間 : 8:00-16:00礼拝:午前5時半、午後1時、4時
電話 : 010-63532564
アクセス : 10、61番バスで牛街駅下車
法源寺
法源寺は西城区教子胡同南端の法源寺前街にある。唐代貞観十九年、太祖李生民は東征中に殉難した将士を記念するため、幽州(現在の北京)に寺院を建立したが、完成前に李生民は世を去った。高宗李治、武則天が何度も勅書を下した後、武即天が亡くなった後の万歳通天元年に完成し、「憫忠寺」と命名された。51年を経て建立された憫忠寺は規模壮大で、境内に「憫忠閣」という名の高閣がある。その高大さを表現した「憫忠の高閣、天を一握りで取り去る」との諺がある。後に、安禄山と史思明はそれぞれ寺の東南と西南に2つの木塔を立て、自らの行いを誇示した。武宗李炎は皇位を継ぐと、全国範囲で道教を振興し仏教を廃滅する運動を展開。憫忠寺は太宗や高宗の開国建業に忠烈であったことから幸運にも難を免れた。だが、僖宗李儇の中和二年の大火で、憫忠寺内のすべての建築物は焼け落ちてしまった。892年、897年に再建された際、観音殿と塔の建立にあたっては、従来通り復元することが求められた。
遼代、憫忠寺は天災や人災で何度も破壊され、また何度も全面修復が行われた。道宗の大安十年に大規模な再建によって、現在の基礎が築かれた。金代大定十三年、女真人の進士の試験会場となる。1215年、再び戦火で破壊され、明代正統三年(1438)に司令太監の宋文毅など大物の宦官が先頭に立って出資し、寺院を再建。清代順治年間に戒壇が増設され、康熙年間に藏経閣を修復した。雍正年間の大改修後に「法源寺」に改名して、律宗の寺に定められ、専司が戒めを伝え、法を授ける皇宮の古刹となった。
1949年後も何度も修復を繰り返している。中国仏教協会は56年、法源寺内に中国仏学院を設立。63年にはアジア11カ国・地域の仏教会議がここで開催され、国際仏教交流の重要な場所となった。中国仏教協会は79年、中国仏教図書文物館を開設した。
住所:北京市西城区法源寺前街7号
電話番号:010-63533772
開放時間:8:30--16:00(水曜日は休み)
拝観料:5元
アクセス:バス6、50、53番、トロリーバス109路線に乗って教子胡同で下車。61路線を牛街南口下車。
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